2011年03月30日

死者不明は神戸の4倍以上  津波に対する学習不足


今年は 天変地異。
3月は今までになく寒かった。
東日本大震災と福島原発のニュースに押されていた桜前線の便りが、やっと届いた。
私の住んでいる街は、昨日あたりから春めいて、シュモクレンやシロモクレンの花が満開。

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阪神淡路、中越と震度7の地震が続いたので、私ども住宅屋だけでなく、多くの日本人は耐震性に対して敏感になってきた。
神戸の被災者・三浦暁子著「大地震 主婦の体験」(講談社)の中にあった一節が、今でも心に焼き付いている。
「震災後しばらくたって東京へ越すことになり、環状8号線をタクシーで走っていた時、このビルは危ない、あのパン屋はダメだと、いつの間にか息子と耐震性能評価をし合っていた」。
私も神戸を視察して以来、建築美とかデザインではなく、この建物は震度7の地震に耐えられるかどうかを第一義に考えるようになった。
以来、そのクセが一向に治らない。
どんなに美味しそうなラーメン屋やレストランがあっても、耐震性の悪そうな店だと入る気がしない。
動物的本能というしかない。

そして訪れた中越地震の、烈震のなかでも最烈震地だった田麦山と武道窪。倒壊率90%のエリア。
そこで、倒壊を免れたスーパーウォールの内部に入って見て、品確法の最高値である耐震 等級3であっても、直下型の震度7に対処するには問題が大きいことがわかった。
等級4以上が絶対に必要。
その必要性を肌身で感じている人は少ない。
なぜかと言うと、ほとんどの学者や建築家が見て回ったのは倒壊した家だけ。
震度7で、しかも2500ガルの烈震でも倒れなかった家の中を、専門家は見ていない。
このため倒れなかった等級3の住宅がどのような被害を受けていたか。
どこに問題があり、どこを補強しなければならないか。
等級4、あるいは等級5のポイントは何かについて、学者も建築家も何一つ発言していない。

ご案内のように、耐震の等級1というのは、基準法に書かれている数値を守ること。
等級2は、基準法の1.25倍で、等級3は1.5倍の性能。
これだけ。
何故、等級4とか等級5がないかの理由が分からなかった。
その理由を教えてくれたのがセイホクの神谷文夫技師長。
「鉄筋コンクリート造とか鉄骨造では、等級3以上の耐震性能が出せないから !! 」
正確に言うならば、小型物件だと出せても、大型物件ではムリということ。
このため、神戸では高速道路がゴロリと横倒しなり、ビルは途中階や1階が潰れたものが多かった。
東日本地震では、震度は6強にすぎなかったのに東北新幹線の鉄筋コンクリートの柱など、運輸関係の被害は想像以上。
仙台市内ではマンションの損傷も大きいと河北新報が伝えている。
また、市内の有名建築物もかなり被害を受けているらしい。
鉄骨造の工場や倉庫、店舗などは広範囲にやられている。
もっとも工場では、建屋よりも機械設備の被害の方が大きい。
つまり、鉄筋コンクリート造や鉄骨造は等級3であっても、安心出来ない。
建築価格を値切って、耐震等級が2ないしは1で済ませていた例もあったのだろう・・・。
しかし、木造住宅だと等級4とか等級5は、それほどカネをかけなくてもいくらでも出せる。
直下型の震度7でも、カスリ傷程度で抑えることが可能。
その方法は、今まで何度となく書いてきたので省略。


今回は、津波について考えてみたい。
地震の研究機関と専門家は多い。そして、地震に関する著書は年に2、3冊は出ている。
これに対して、「津波工学研究室」を持っていたのは東北大だけ。
首藤伸夫名誉教授が活躍していた時に「災害制御研究センター」内に「研究室」があった。
だが、現在は「研究分野」という形でしかない。
東大をはじめとした各大学では、津波は地震や防災の一環としてのみ位置付けられている。
気象庁には地震津波課がある。
ITSU(太平洋津波警報組織)という25ヶ国からなる国際組織で、日本は中核的な役割を果たしている。
しかし津波学界が存在せず、目ぼしい研究組織は1、2しか見当たらない。
つまり、スター的な論者がおらず、これという代表的な著作もないので、日本の大都市のほとんどが海岸寄りに立地していながら、一般人の津波知識はあまりにも乏しい。

もちろん、私も立派な門外漢。津波を語る資格などない。
ただ、今から18年前の奥尻島の大津波について、防災システム研と総合研究機構の記録を読んでいたので、初歩的な知識は多少あったはず。ところが、いつの間にか意識の中から奥尻島が抜け落ち、シアトル地震の6メートルの津波の方に関心を取られていた。
今回、資料を読み返してみて、津波の基本的なことが奥尻島津波に集約されていることに気付いた。
奥尻島で震度6程度(地震計が設置されていないので、正確な震度が分からない)の地震が起きたのは1993年の7月12日の夜10時17分。
地震の震源地は奥尻島の北北東80キロ程度で、深度34キロ。マグニチュードは7.8。

この地震に伴う津波の高さは、サツマイモ型の島の震源地に近い北部で8.5メートル、西側では沢沿いに最高海抜30メートル地点まで津波が到達したという。
そして最南端の青苗では最高が6.7メートルで、1時間に2メートルの津波が13回も襲ってきて、504戸のうちの384戸が波にさらわれている。
震源地が近かったので、地震が発生してから2分から5分という短い時間に津波が襲った。
このため、全島では230人が死亡や行方不明に。そして、数百戸の住宅が流失、または焼失した。
島の朝は早い。
したがって夜の10時17分だと、ほとんどが火を消して寝ていたはず。
7月中旬だから暖房をしているはずがない。それなのに奥尻町をはじめ多くの町が津波と同時に火事にやられてしまった。その火事の原因は謎とされていた。

今度の気仙沼などの火事は、津波が運んできたという証拠が、カメラにしっかりと捉えられている。
最初の津波で家が倒れ、家庭や自動車から流れ出した油が海表面に浮き、木材の破片に滲みる。そして自動車の電気系統ないしは接触による火花によって、油と木材が燃えだす。
その波に浮いた火種の塊が、2回目、3回目の津波で運ばれ、半壊とか倒壊していない家屋に接近、浸入して燃え移る。
単なる火事だと、大量の水が押し寄せるのだから消火してくれるはず。
ところが、奥尻町などが焼け野原になった原因は、流失したガソリンや灯油なによる気仙沼現象だったと今になって判明。

次に明らかになったのは、押し寄せる波よりも、引き潮の怖さ。
最南端の青苗の主婦の話によると、大きな地震があったので寝ぼけ眼を起こされ、家具が倒れないように抑えていた。
真夜中で、電気が消えたので何がどうなっているのかが、さっぱり分からなかった。
そして、気が付いたら、胸のあたりまで水が浸水してきていた。
怖かったのはその水が引く時。
ゴーッという大きな音とともに玄関の戸を破り、家具などを一気に持ち去った。
主婦は柱と家具に挟まれて怪我はしたが、引き潮にさらわれることは免れた。
奥尻島の防波堤のほとんどが、海側に倒れていたという。
つまり、引き潮になぎ倒されたということ。
今回の東日本大震災でも、3階建の鉄筋コンクリート造の一群が、いずれも海側へ倒れている。
引き潮の大きさは、その後に大きな津波がまだまだ押し寄せることを物語ってもいる。

世界地図を見ると陸の標高は200メートル、500メートル、1000メートル、1500メートル、3000メートル以下と以上の6段階に色分けされている。
これに対して、海は200メートル、1000メートル、3000メートル、6000メートル以下と以上の5段階に色分けされている。
大まかに言って、東日本の太平洋側は20〜30キロ沖までが水深200メートル。
60〜80キロまでが水深1000〜3000メートル。
100〜150キロまでが水深3000〜6000メートル。
それ以上が水深6000メートル以上の日本海溝。

津波で問題になるのは、震源地が水深何メートルの地点で起こったか。
200メートル以内だと水の層が薄いので、たいした津波にはならない。
やはり大きな津波は、水深3000〜6000メートルの地点で、大きなマグニチュードによって発生するようだ。
奥尻島の震源は、この水深3000〜6000メートル地点で起こっている。
マグニチュードは7.8と関東大震災よりは若干小さかったが、80キロ程度しか離れていなかったので、あっという間に津波が到達し、大きな被害を出した。
今回の東日本大震災の最初の震源は三陸沖130キロ。水深3000〜6000メートル地点。しかも最初の発表は関東大震災と同じマグニチュード7.9.
日本人が、このマグニチュードの大きさと震源地の水深の深さを学習しておれば、少なくとも6メートル以上の最初の津波が、10分以内に襲ってくると判断出来たはず。

私は津波の高さを建築的に考えている。
3、6、9、12メートル。
3メートルは1階の天井高。6メートルは2階階高。9メートルは3階、12メートルは4階。それ以上は実質的に想像したことがない。
最初のテレビニュースで、マグニチュード7.9と聞いた時、即座に関東大震災と同じエネルギーだと気付いた。
しかし、震源地の水深についての知識がなかったので、3メートル程度の津波が襲ってくると考えた。
つまり、1階が水没する大きな津波。
それなのに、NHKアナウンサーの切迫感が感じられない語り口。
正直いって、あれほどイライラさせられたことはない。
「命が大切です。着の身着のまま逃げて下さい」 と何故叫ばないのか !!

そして、三陸沖に続いて、仙台沖、茨城沖でも連続的に地層が崩れていて、途中でマグニチュードが8.8に変更されてびっくり。慌てて何人かのビルダーへメールを送った。
これだと2階までが水没する6メートル以上の津波になる、と素人は考えた。
そして、翌日マグニチュードが9.0に変更された。
これだと9メートル以上は間違いない。

気象庁を責めることは出来ないだろうが、最初からマグニチュード9.0という発表がなされていたとする。
そして、アナウンサーもきちんと学習していて、「超巨大地震です。9メートル以上、所によっては15メートル以上にも達する津波が押し寄せます。しかも、2波、3波、4波と押し寄せます。津波がもたらす火災発生の危険もあります。出来るだけ早く高台へ逃げて下さい」 と叫んだであろう。
そしたら人災は、半分以下で済んだかもしれない。
これは素人の、的外れな考えにすぎないが・・・。

そして、奥尻島からはもっともっと学ぶべきだった。
小さな島の例外的な事件として、一通りの知識は吸収したが、生きた事例として何一つ学習していなかった。
私の仕事は耐震で、津波対策は他人事と考えていた。
その愚を、お互いに東日本大災害を通じて、根本的に悟ろうではありませんか。



posted by uno at 07:01| Comment(1) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
たまたま「住システムの欠陥」を検索していてこちらに辿り着きました。 『東日本大震災』について振り返るにはあと数年かかるでしょうが、この「超巨大地震」によって我が国の「地震及び津波防災」の限界が露呈した気がします 電力や回線網の寸断で鳴らなかった防災無線や携帯電話、低層ビルや防波堤を瓦礫に変えた「スマトラ沖」級の巨大津波… …何時か来る『巨大地震』に備え官民共に整備した筈の「防災システム」が、ほんの一部役に立ったとはいえ、如何に自然の猛威に対して無力であるかを見せ付けられた日々だった気がします。 三陸沖の潮位変動計ブイと東北沿岸への警報発令が自動化してたら…、せめて防災無線システムに「停電対策」を施してあれば…、と考えてしまいます。 しかし「今回」は間に合わかった対策も、『東海〜東南海地震』には間に合う筈です。ただ「甚大な被害現状」に立ちすくみ、『次に備える準備』が全く進まない現状が気になります。
Posted by 市井の小市民 at 2011年05月12日 13:02
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