2011年06月20日

田舎企業をグローバル企業へ  ダイキン井上会長の事業


井上礼之著「人の力を信じて世界へ」(日経ビジネス文庫 800円+税)

P1040755.JPG

ダイキンの井上会長が日経新聞の「私の履歴書」に登場したのは2007年の2月。日経新聞に履歴書を書くには72才では若すぎた。
セブン&アイグループの鈴木敏文氏の履歴書が掲載されたのはその2ヶ月後の75才の時だった。
トステムの潮田健次郎氏が登壇したのは翌年の82才の時。
当時の井上氏の履歴書は、サラリーマンで本当の修羅場を経験しておらず、グローバル化も中途半端でつまらなかった。
日経の担当者は 「何が目的で井上氏を依怙贔屓しているのだろうか」 との疑問を持ったほど。

第一に、井上氏はオーナー経営者ではない。
技術屋として画期的な商品を開発して内外から注目された人でもない。
また、独自の営業システムを開発したとか、抜群の営業実績を上げて会社を大きくしたと衆目が認めて社長に抜擢された訳でもない。
企画部、人事部と歩き、その後に初めて経験した事業部が化学事業部。
フッ素樹脂への進出とアメリカ・アラバマ州に化学工場を稼働させたという功績はあったが、主力の空調事業部での経験はゼロ。
並程度の、平凡なサラリーマンとしてしか評価出来なかった。

したがって1994年に前社長山田稔氏が井上氏を後任に選んだという報に接した時はびっくりした。
私などは、「井上氏というのはどんな馬の骨 ?」 などと失礼な質問を同社に浴びせた。
山田稔社長は創業者の長男で、三代目として大阪の片田舎会社にすぎなかったダイキンを、なんとか名の知れた会社に成長させた。
だが、数年前から肝臓ガンを患い、22年続けた社長業を無名に近い井上氏に簡単に譲り、以降余分な口出しは一切控えた。
山田前社長の人柄をある程度知っていただけに、その禅譲とその後の態度は高く評価すべきだと思ったが、なぜ井上氏を選んだかが謎だった。

そして、井上氏は8年後に社長業を後継者に譲り、2002年以降は会長として同社のグローバル化を強力に進めてきた。
しかし、2007年の時点では、社長と会長職の経験を合わせても13年に満たなかった。
その間に果たした業績は管理者としての地味なもので、その時点ではリーマンショックも経験しておらず、グローバル化も緒に就いたばかりで経営的な面白さがなかった。
極論すれば、何一つ印象に残るものがなかった。
それなのに今月の初めに、日経ビジネス文庫より「私の履歴書」というサブタイトル付きの表記の本が出版された。
元より買う気などはサラサラなかった。
書店で念のために手に取って見たら、「私の履歴書」の部分は全体の1/6に圧縮されていた。
そして、リーマンショック以降の企業の難しい舵取りに関する記述が加わっていた。また、いかにしてグローバル化させてゆくかという難問に焦点が当てられていた。
つまり、履歴書は単なる付け足しで、企業がグローバル化するにはどうあるべきかという基本命題に紙数を割き、内容が一変していた。

楽天とかユニクロや大手商社など、英語を社内の共通語にして急速にグローバル化を図ろうとしている先進的な企業群。
そうした華麗な、目立つ企業の存在は知られている。
一方で、ユニチャームのような四国の一田舎企業が、アジアの需要を追ってアジアに見合う商品を開発し、急速にグローバル化を果たしている事例もある。

これに対して、建築・住宅・建材業界のグローバル化は、一向に進んでいない。唯一の成功例は建設機械業界だけ。
とくにゼネコンは、韓国に比べるとはるかにひ弱で、遅れている。
談合体質といたずらな下請け体制が身について、世界マーケットでの競争力を持っていない。
最近では中国勢の後塵を拝している。
住宅業界も、日本ではお山の大将で威張っているが、その省エネ性能と価格競争力は、世界水準をはるかに下回っている。
つまり、世界に打って出るほどの技術と性能とノウハウを日本のハウスメーカーは持っていない。
出かけて行って商売になるのは唯一マンション建築だが、これとても将来展望は暗い。
中でもひどいのがサッシ業界。
アルプラの防火偽装とU値の省エネ偽装で明らかになった安っぽいチャチな性能。
通則認定という護送船団方式で、世界に通用しない低レベルのサッシ業界をひたすらに過保護してきた国交省と経産省。
諸外国の優れた技術を締め出すための農協並みの閉鎖的な防火試験制度。
それが、どれだけ日本のメーカーを甘やかしてひ弱にし、日本の消費者の利益を損なってきたことか。

そうした中にあって、ダイキンは早くからグローバル化を目指してきた。
同社は、必ずしも英語や中国語がペラペラなエリート集団ではなかった。
私が付き合い始めた頃のダイキンは、ナショナルや三菱電機に比べたら、どちらかというとドンくさい企業だった。
エリートぶらず、なんでも親身に相談に乗ってくれ、仲間として付き合える企業だった。
それらの人々は、やがて中国営業の最前線へ派遣されていった。
私が付き合っていた技術系の部長も課長も、残念ながら中国語が話せない。
通訳を伴っての単身赴任。
今では日本料理店も多くなったので困ることはなくなってきているが、当時は「サシミが食べられないのが辛い」と言いながらエアコンを売りまくっていた。

もちろん、ダイキンが中国で大成功を収めたのは、腎臓機能の低下から人工透析を続けながら初代中国部長として大活躍した高橋基人氏の存在を抜きには語れない。
その卓越した差別化戦略が功を奏しての成果ではあったが、私の知っている何人かのサムライ達の頑張りも大きかった。
また、ヨーロッパへ出かけた人もいた。
セントラル空調換気システムが全面的に普及しているアメリカへ渡って、苦労を余儀なくされた技術屋さんもいた。

現在では、最低英語と中国語か話せる新卒を、ダイキンは簡単に採用出来るようになっている。
しかし、初期のグローバル化を進めた技術屋さんのほとんどは、英語も中国語もペラペラというわけではなかった。ドンくさい人間の集団にすぎなかった。
だが、誰よりも早く中国とヨーロッパでエアコンの市場を獲得した。
語学力ではなく、バイタリティと高い意欲を持ち続けたことがそれを可能にしたのだと、脇から見ていた私には感じられた。
現在では、「ダイキンの利益の70%は、海外で稼いでいる」と豪語している。
売上高でも約65%を占めている。
今年の3月決算によると、連結社員数は約4万2000人に及ぶ。
その70%は外国人。
いつの間にかダイキンは、完全なるグローバル企業に変身していた。
そして、2010年にはキャリア、トレーン、ヨークなどという世界の冠たる企業を抜いて、空調メーカーとしてダイキンは世界のトップに躍り出た。
そして、その戦略を完全に軌道に乗せた張本人は、間違いなくCEOの井上氏であった。

井上氏が社長になる寸前の1994年の3月決算で、ダイキンは17年ぶりの連結経常赤字に。
売上の7割を占める屋台骨の空調事業が、バブル経済の崩壊、円高・ドル安、冷夏の3つの悪条件で呻吟していた。
空調事業にド素人だった新社長に、直ぐに改善策が用意出来る訳がなかった。じっくり社内の意見を聞いて回り、事業計画の策定をあえて1年遅らせて空調事業改革計画をまとめた。
それまでの業務用エアコンに特化していた路線を改め、ルームエアコン、業務用エアコン、オフィスビル用のセントラル空調換気の3本柱で走ることを決めた。
しかし、業績は簡単には改善しなかった。
とくに小型のルームエアコンは苦戦を余儀なくされた。
GMS(グローバル・ミニ・スプリット)と呼ばれる小型壁掛けエアコンが開発されたのは99年。そして、その年の10月には大ヒット商品となった「うるるとさらら」が誕生し、ダイキンはやっと立ち直ることが出来た。

ルームエアコンの開発と同時に、立ち遅れていた中国への本格的な進出が始まった。ルームエアコンは高級機に限定し、得意の業務用エアコンは天井埋め込み式で差別化を進めた。
そして、技術のダイキンの組織を蘇生させるために、プロジェクトチーム制によるフラットな組織への改革を行い、技術力と思い入れと好奇心の強い人材の登用を始めた。
こうした中からデシカが生まれてきた。

一方、ヨーロッパでは92年にフランスの代理店を買収したのに続いて98年にドイツ、99年にオーストリア、00年にスペイン、その後もポーランド、イタリア、イギリス、ポルトガル、ギリシャ、オランダと代理店網を広げていた。
そして、ヨーロッパ快進撃のモニュメントになったのが03年のヨーロッパの猛暑。
一気にダイキンのマーケットは拡大し、チェコの工場は大きな需要を背景に30万台の生産体制を稼働させることが出来た。

このように、2000年前後からダイキンのグローバル化は急速に進んでいった。
ヨーロッパや中国だけでなく、アジアの各国、北米、オセアニア諸国と戦線は拡がる一方。
当然のことながらチャレンジ意欲の強いイノベーターという人材群を、全世界で育ててゆかなければならない。
そのために99年から、まず海外実践研修制度をスタートさせている。
そして、01年には高度訓練技術者の育成と意欲喚起、技術の伝承を目的に卓越技能伝承制度を設定。
04年からは次世代の経営幹部を育成するためのダイキンビジネススクールを開設。
06年からは全部長職を対象にしたフラット・スピード道場の開設。
08年にはダイキンアレス青山の竣工。 海外グループと各事業部との架け橋となるブリッジパーソン研修の開始。更にはグローバル化を睨んだ技術トレーナー育成研修の開始等々。多角的な人材育成プログラムが用意されている。

こうした中で、06年にはマレーシアのOYLインダストリーズを買収している。このようなM&Aは、今後も進められてゆく。そうした中で、組織改革だけでなく高いモチベーションを維持するための給料システムも変えてゆかねばならない。
未来に通じる絶え間ない技術開発力の維持。
ダイキンのDNAを活かしながら、2兆円企業に脱皮してゆくということは容易なことではない。
私は90%の熱回収換気システムと家庭用デシカの開発を通じて、この10年間におけるダイキンの大きな変化を、皮膚感覚で実感してきた。

この著は日経の記者が書いたもので、咀嚼力が足りず、まとまりに欠けていて大変に読みづらい。
井上社長の経営方針をただ羅列的に並べている点も多々ある。したがって、この本からはダイキンの皮膚感覚の変化が伝わってこない。 それを承知の上で、一読をお薦めしたい。


posted by uno at 17:50| Comment(0) | 書評(建築・住宅) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:

認証コード: [必須入力]


※画像の中の文字を半角で入力してください。
×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。