2012年01月10日

地震や津波を警告している地名は全国にある !!


楠原佑介著「この地名が危ない」(幻冬舎新書 840円+税)

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前回、住宅業者として必ずやらねばならない仕事の一つに、池、沢、沼などサンズイ偏や谷などが地名に付いている町では、地盤調査が不可欠であると書いた。
地名と地震との関係はその程度のことだろうと、この本を読むまでは考えていた。
とろろが、地名には地震だけでなく、津波までも警告したものが全国にあったのですね・・・。

私どもの先祖が、この日本列島に住み始めたのが1万数千年前と著者は書いている。
1万8000年から2万年前の第4氷期に日本列島はユーラシア大陸から切り離されているので、この記述が正しいかどうかは定かではない。
しかし、5500年前から4000年前までの長期間、山内丸山遺跡では縄文文化が栄え、クリの栽培だけではなく一部野菜も栽培して定住生活を始めている。
米作が始まる以前から1500年間も定住生活しているうちに、何回となく大地震や風水害に見舞われたことだろう。
そして、クリ栽培が出来なくなり、丸山遺跡が廃墟になった理由は今でも明らかではない。
日本に米作がもたらされたのは2000〜3000年前。
コメづくりは、自然災害との闘いの歴史で、1日たりとも襲い来る災害のことを忘れることは出来なかったはず。

この災害には、日照不足とか日照り続きと言う災害もあれば、バッタなどの病虫害、あるいは台風や水害など毎年襲って来るものもあれば、数十年とか数百年に一度襲ってくる地震による亀裂や地滑りの発生、津波による大災害もあったろう。
当然放棄しなければならない水田もあったし、被災地をどのように修復し、生きてゆく術をどのように再建したかを子孫に語り継ぐ必要があった。
その伝承の中の代表的なものが、「この地は危ないぞ」 という地名。
つまり、地域の生活史が地名には込められていると筆者は説く。
ところが町村合併によって、先祖が警戒を発信していた貴重な地名をなくしてきている。
東京を例にとるならば、保谷市と田無市が合併して西東京市となった。意味のある地名ではなく、単なる符号にすぎない。

著者は、地名から判断するならば、福島第一原発も、福島第二原発も、津波被害の怖れのある地点に立地しはていると力説している。
福島第一原発が立地しているのは双葉町と大熊町の中間点。この両町と浪江町を含めた一帯を古代の郷名で「標葉」と言った。この標は「災害があるので占有して立ち入りを禁止した場所」と言う意味で用いられてきた。
事実今回の津波でも大きく内陸地まで津波が押し寄せている。
ところが、今から115年前の明治時代に、標葉郷とすぐ南の楢葉郷の2つの葉を合併させて双葉郡とした。この単なるゴロ合わせの郡名の誕生により、地名が持っていた危険信号が忘れ去られ、福島第一原発が建設された。
しかも想定津波高は5.7メートルに過ぎなかった。

この福島第一原発から12キロ南に福島第二原発が建てられている。
この福島第二原発は、昨年の11月29日のこの欄で紹介したように、外部交流電源が1回線のみ健全だったので、メルトダウンは免れた。
しかし、地形・地質・土壌などの自然条件は全く同じ。したがって、第二原発が同時にやられたとしても、何一つ不思議ではなかった。
いや、地名からいうならば、もっと危険な場所に第二原発は立地していると著者はいう。
それは、第二原発の楢葉町側の地籍は、大字「波倉」。 この地名が大問題。

倉とか蔵というと、大変すごい名前のように感じる。
黄金虫の唄ではないが、「黄金虫はカネ持ちだ。カネ倉建てた、倉建てた・・・」とすばらしいことだと考えてしまう。
鎌倉というと、日本でも最もリッチな住宅地だという先入観に 私などは犯されている。
ところが、この倉はカネ倉のことではなく、動詞クル (刳) が名詞化した言葉。
「地面が刳られたような地形」の場合に使われている。
楢葉町波倉は、文字通り「津波で抉られた土地」のこと。
こんなところに原発を立地したことが、そもそも大間違い。
つまり、原発の立地調査に動員された地質学者も、地震の専門家も、歴史に対する造詣が一つもなく、浅い知識の範囲以内で重大決定をくだしてきたということ。

ちなみに鎌倉幕府がおかれた13世紀の100年間に、ないんと鎌倉では7回にも及ぶ地震や津波が発生している。
建暦3年 (1213年)  旧暦5月21日 山崩れ、地裂け、舎屋が破損。
嘉録3年 (1227年)  旧暦3月7日 地裂け、所々の門扉・築垣が倒壊。
寛喜2年 (1230年)  旧暦1月22日 大慈寺の後山崩れ。
延応2年 (1240年)  旧暦2月22日 鶴岡神宮などが倒れ、北山が崩れ。
仁治2年 (1241年)  旧暦4月3日 津波を伴い由比ヶ浜大鳥居内拝殿流出。船10隻が破損。
正嘉元年 (1257年)  旧暦8月23日 鎌倉の社寺完全なものなし。山崩れ、家屋転倒、築地全壊、
                   地割れで水が噴水。余震多し。
正応6年 (1293年)  旧暦4月13日 鎌倉強震。建長寺炎上のほか諸寺も被害。死者2万3000人。

そして、明応7年 (1497年) の大地震で大仏殿が倒壊。津波で流されて、以降に大仏殿は建てられず、露坐のまま今日に至っている。
倉という地名の怖さ。

そして著者は女川も小名浜もやはり津波痕跡の地名だと説いている。
著者にとっては、オナ (女、小名、小那、尾奈) の名が付く地名は鬼門だったという。いろいろ解釈はしてみたが、とても納得できるものではなかった。
しかし、今回の津波で、オナは女のことではなく、「雄 (男) 波」のヲ・ナミを下略して、津波ことを「オナ」と呼んでいた名残だということに、やっと思いが至ったという。
つまりオナとは津波危険地帯であるということを先祖は教えていてくれていた。
その女川に原発を建てたり、小名浜に発電所を建設しょうという考えそのものが間違っていたのだと著者は結論付けている。

そして、津波の被害は、リアス式海岸の三陸沖だけに起こる現象ではない。
東京湾も危ないし、湘南海岸は津波の常襲地域。
もし、東海・東南海・南海の連続型地震が起こったとしたら、静岡県だけでなく、名古屋は名古屋駅周辺まで津波が達する怖れがあるし、すり鉢状の深い大阪湾に面している大阪が受ける被害は非常に大きなものになる。
さらには高知をはじめとして、地名から読める危険地帯は枚挙にいとまがない。
今回の東北の大津波だけが、例外的なものではないということ。

こうした津波のほかに、中越地震をその地名からいろいろ分析しているのも参考になる。
2004年10月23日の夕方に起きた震度7を記録した中越大地震。
私も数度現地を訪れ、烈震地の状況を目の当たりにしてきたので、書かれている内容にはひきつけられた。
この地方は、1828年に三条市、見附市を中心としたマグネチュード6.9の三条地震が起きて以来、180年にも亘って大きな地震に見舞われていない。
したがって、多くの人々はこの地に震度7、2500ガルもの地震が襲うとは考えてもいなかった。
しかし、著者は富山―山梨以東で薬師山、薬師岳、薬師峠などが多く、新潟県に3割以上が密集していることと、今回の地震の中心地だった川口町や山古志村を中心に十二神・十二宮などやたらに十二という名のつく神社や地名が100ヶ所以上にも及び、密集していることを発見している。
この十二神はひなびた山岳地帯にも多い。
著者は薬師如来の化身として十二神に対する信仰が深まったのではないかと推測しているが、これだけ十二神が多いと言うことは、この地が決して地震が少ない土地ではなく、かつては災害が多かったためではないかと推測している。

そして、山古志村の芋川が土石流で止められ、堰止め湖が多く出来た。芋川とはそういった土砂災害によって埋まる危険性の高い川であることを教えてくれているという。
私が知りたかった烈震地の武道窪の地名の由来については、なんとなく推測出来るが、田麦山については記述がなく、未だに不明なのが心残り。

いずれにしろ、日本の古い地名は、どんな危険があるかを教えてくれている。
そしてこの本を読み終えて、東北以外の各地での地震や津波に対する危機管理体制が、あまりにも整備されていないことを気付かせてくれた。


posted by uno at 18:46| Comment(0) | 書評(建築・住宅) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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