2012年09月30日

魁夷が描いたドイツの建築風景と同じアングルの場所を探す旅


松本猛著 「東山魁夷と旅するドイツ オーストリア」 (日経出版社 2300円+税)

魁夷の表紙.jpg
私のような民間住宅人が、絵や音楽の話をしても誰も相手にしてくれない。
「柄にもない !」 と言われるのがオチ。
私は、決して東山魁夷のことを書こうなどとは考えていない。
1999年に90才で大往生を遂げた魁夷。
13年前に死んだ東山魁夷と、一体どうしてドイツ オーストリアを旅しょうというのか ?
その題名の不思議さと、掲載されているドイツやオーストリアの古い中層住宅の魅力に惹かれてこの本を衝動買い。

著者は、いわさきちひろの長男。1997年に安曇野ちひろ美術館を設立して館長になるとともに、2002年には信濃美術館・東山魁夷館の館長として数年間勤めた。
この魁夷美術館は、「私を育ててくれた故郷への恩返し」として、魁夷が生前に数多くの作品を寄贈して1990年に開館したもの。
その収蔵作品は960余点にも及び、世界最大の魁夷コレクション。
ご存じのように、魁夷の絵は山や樹木、湖など美しい自然を描いた幻想的な作品が多い。
しかし、若い頃にドイツのハイデルベルグへ留学していたこともあって、1969年に夫人を連れて4ヶ月間にわたってドイツ、オーストリアを旅している。この旅では、もちろん魁夷らしい湖畔などの風景作品も多いが、家並みや木造住宅の一部を描写した多くの作品をものにしている。

館長としてそれらの絵に接触していた著者は、魁夷夫妻の旅行の後を辿り、それぞれの絵がどのアングルで描かれたかを調べ、特定したいと思い立った。
もちろん、有名な城とか橋などの建造物なら特定するのは容易。
しかし、町並みの一部とか、建造物の一部、窓からの風景、とある居酒屋、あるいは看板の絵となると、特定が非常に難しい。
しかし、著者は2009年と2011年の2度に亘ってドイツとオーストリアを訪ね、ロマンチック街道、エリカ街道、古城街道をはじめ、ライン川、ドナウ川など31都市を訪ね、なんと50点もの描かれた絵とそっくりのアングルと構図の写真をものにしている。
魁夷と一緒に旅をしているのだったら、描かれた対象は一目。
そうではなく、死後10年以上も経っている。 魁夷がそれぞれの街で何に感動し、何をモチーフに絵を描いたかを追い続けるという旅など、私のような凡人には思いもつかないもの・・・。
それだけに、いろんな発見があり、想像もしなかった偶然に巡り会っている。
探し当てた50点の全てを紹介することはとても出来ない。建築絡みで私が面白いと感じた6点だけに絞って紹介したい。

《塔の影》 1971年作
筆者は、ロマンチック街道のローテンブルグという街から追跡を開始している。
そして、まず街で一番高い見晴らしが得られる市庁舎の塔へ登っている。
魁夷は新しい街につくと、一番高い所に登り、街全体を鳥瞰しておおよその基礎知識を得た上で、これはというところを散策して絵の対象を選んでいる。 その特徴的な動きを著者は熟知。
そして市庁舎の塔から四周を展望すると、望遠レンズの先に有名な「赤い屋根」と同じ構図があるのを発見!  魁夷はカメラマンとしても腕が確かだった。望遠レンズで撮った写真の、一部黒ずんだ屋根もすべて赤い屋根に脚色して1971年に「赤い屋根」と題して発表している。 この作品と写真の紹介は省略するが、私的には写真の方が絵よりもはるかに建築的な魅力を感じた。
そして、塔から降りようとした時、下の「塔の影」と同じ構図を発見している。(上が絵で下が写真)

塔の影.JPG

塔の影写真.JPG

絵の左側にある建物は市議宴会館。そして右の建物の壁に映っている塔の影は、手前左端の青銅で葺かれた塔の影のように見える。写真の方が青銅葺きだということがはっきり分かる。
とすれば、かなり陽が落ちた夕方ということになる。ところが市議宴会館の時計は午前10時20分を指しているし、もし夕方だったら塔だけでなく市議宴会館そのものの大きな影が 壁に映っていなければならない。それが無いので謎とされてきた。

影の実態.JPG

ところが、上の写真がその謎を解いている。実は市議宴会館の屋根の上に大きな塔が載っており、その塔の影だったのだ。これだと午前10時20分とピッタリ符号。名画に潜む謎が解かれた証拠写真。

《穀倉》 1969年作
ローテンブルグから40キロばかり南下したディンケルスビュールという町は、魁夷に言わせると「静かに、当てもなく散歩するにふさわしい詩情あふれる小さな町」となる。
そこで、魁夷は「穀倉」という作品を残している。

穀倉.JPG

建築的に言うならば、イギリス調の「ハーフテンバー」に分類出来るスタイル。現しの大きな梁に、垂直に配された太い柱以外にも、スジカイを兼ねてXに入れられている。
この絵だけを見ると、地震のないドイツでいくら穀倉とは言え、梁と柱が大きすぎて納得が出来ない。低層建築で、なぜこれほどまでに重装備をする必要があったのか?
ところが筆者の写真で、これがドイツに多い木骨土壁造の6階建ての2階と3階部分だけを画家が勝手に抜き取って描いたものだということが初めて分かった。

穀倉の全体.JPG

そして、数多く現存する木骨土壁造の中から、よくもこの建築物を特定できたものだと感心させられる。

《ツェレの家》  1971年作
この作品は、ドイツ最北に位置するエリカ街道の南端に近いツェレという街で描かれたもの。

ツェレの家.JPG

私は3度ドイツを訪れているが、ベルリン以外の北の街は訪れたことがない。このツェレは「北ドイツの真珠」と呼ばれる町で、16、17世紀の童話の世界のような家々が並んでいるという。木組みを壁の外に出し、その木にカラフルな装飾を施しているのが特徴。
ドイツをはじめヨーロッパ各国のすごいところは、町並み保存思想が市民に行きわたっていて、外観は窓一つ変えてはならない。「古い建物のない町は、思い出のない人間と同じだ」 という哲学で、古い美しい町並みが保存されている。
したがって、10年経っても50年経っても、ツェレの町を訪れると、魁夷のツェレの家に出会うことが出来る。しかし、魁夷の絵に良く似た古くて美しい家が数多くて、著者は歩き回ったがなかなか特定出来なかったという。

ツェレの実物.JPG

やっと見付けたのが上の写真の6階建て木骨土壁造。
この2階、3階、4階の一部を拡大すれば、絵と同じ構図になる。 是非とも訪れてみたい町。

《緑のハイデルベルク》  1971年作

緑のハイデルベルク.JPG

ハイデルベルクは1386年に早くも大学が設立され、現在でも市民の1/5は学生。日本の京都のように美しい町で、第二次大戦でも連合軍はこの町を爆撃しなかった。
「ネッカー川にかかる橋と山の中腹に見える古城。ハイデルベルクで学んだ私には、この町は青春そのもの。したがって緑の色調で私はハイデルベルクを描いた」 と魁夷は書いている。

緑の実態.JPG

しかし、著者の同じアングルからの写真だと、中央の緑の量が絵の半分もない。
これは、緑 (青春) を強調するために川畔からの構図にも関わらず、上の「哲学者の道」から見た緑の風景を魁夷が合作したものらしい。 意図的に偽装を凝らした風景画。

ハイデルベルク対岸の美しい住宅.JPG

4年前、調湿シートのインテロ社を訪問するため、私もハイデルベルクを訪れた。 
そして中腹の古城からネッカー川の対岸当たる場所に、上の写真のような美しい住宅群を発見した。急遽、古城巡りを断って一人で住宅の姿を撮り続けた。 同じ場所をナカジマホームの松岡社長も撮影して、「世界基準の家づくり」という自著の表紙に使っている。
この美しい洋風の家々を撮る目的だけでも、住宅人はハイデルベルクを訪れる価値がある。

《静かな町》  1971年作
ハイデルベルクから東に30キロほどのネッカー川沿いにあるバート・ヴィントフェン町。
「静かな町」に描かれたハーフテンバーの町並みがどこにあるかがさっぱりわからない。町の人にいろいろ聞いたら、やっと青い塔の上からの風景だということが分かった。
青い塔に独りで住んでいる青年からチケットを買い、塔の回路へ出ると、ネッカー川の向こうに拡がる雄大な景色に著者は目を奪われたという。そして、魁夷は何気ない路地を見付けて望遠レンズで写真を撮り、後日絵にしたものだということが判明した。

静かな町.JPG

この絵も、屋根が全部赤で、壁はどちらかというと黄色い。

静かな町写真.JPG

ところが写真で見ると屋根は黒ずんでおり、壁はどこまでも白く、いずれも5階建でのハーフテンバーを建築的に引き立ている。 魁夷には悪いが、私はこの構図でも写真の方が遥かに魅力を覚える。建築に溺れて、絵画的センスの無さを認めるしかない。

《居酒屋》  1969年作
ドナウ川のウイーンに近いデユルンシュタインという小さな町。ここは白ブドウの産地として有名。
町といっても端から端まで歩いて10分程度。簡単に居酒屋が見つかると思ったが酒屋の印の看板がいくら探しても見当たらない。
西のはずれまで来て、諦めようとした時に駐車場に車が停まっている目立たない住宅が気になった。居酒屋ではなく壁の色も扉の色も違う。しかし、地面から伸びているツタの2本の茎が決め手になった。(上が絵で、下が写真)

居酒屋.JPG

居酒屋廃業.JPG

居酒屋は住宅になっていた。
しかし、外観に手をつけられない条例と人々の長い習慣が、ヨーロッパでは町並みと絵の題材を守ってくれている。 余りにも変わり過ぎる東京都心の風景を思い出すと、考えさせられる作品。




























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2012年07月10日

新耐震基準は人命を守るもので財産を守るものではない !!


島本慈子著 「大震災で住宅ローンはどうなるのか」 (筑摩書房 1400円+税)

大震災.JPG

今から17年前の阪神・淡路大震災で、住宅ローンを組んだ住宅が倒れたり、焼けたり、あるいは買ったばかりのマンションが傾いてしまったという被災者が生み出された。
つまり、「家が消滅してしまったが、住宅ローンだけが残った」 という戸数は、著者の推計によると1万5000戸にも及ぶ。
こうした被災者は救済されなかった。
このため、2重債務者という重荷を背負させられた。

地震国の日本列島には、住宅金融公庫の資料によると2010年度末で175兆円という巨額のローン残高が残っている。
今度の東日本大震災では、初めて残ったローンの返済に窮する被災者のために、個人版私的整理ガイドラインが新設された。
金融庁が岩手、宮城、福島の3県に所在する銀行、信用金庫、信用組合にヒアリングした結果では、2011年8月末で住宅ローンの返済を一時停止している件数は4576件にのぼっているという。
これとは別に、住宅金融支援機構が、東日本大震災の被災者に対して、「返済方法の変更」 に応じている。その件数は2011年11月末で約3300件という。

今度の大震災で、2重ローンに対する一般の関心も高まった。そこで2011年6月17日の関係閣僚会議で、以下の方針がまとめられた。
「個人レベルで見れば、震災で全ての資産を失い負債のみ残されたという事例は過去にも数多く見られる。そうした被災者が苦しみに耐え復興を果たしてきた事実は重く考えねばならない。また、今次の様々な被災者間の公平確保にも配慮しなければならない。それでもなお、今回の復興は長期間に及ぶと見込まれるので、政府としても可能な限りの対策を準備する必要がある」 として、「個人債務者の私的整理に関するガイドライン」 に基づき、申し出のあった人に対して個別にローンの減免を検討することにした。

しかし、筆者の調査では、2012年3月16日の時点で、ローン減免の成立はまだ3点しかないという。そのうち2点は自動車ローンで、住宅ローンの減免は1点だけだという。その事例は岩手日報の記事によると、以下だという。
減免を受けた人は、震災で350万円の収入が半分に減った。津波で家が流されたがローンが544万円残っていた。地震保険に入っていたので750万円が入り、受け取った義捐金と生活再生支援金が300万円残っていた。この外に土地の売却金が100万円。計1150万円のうち800万円を手元に残し、250万円を住宅ローンの返済に充てた。そして194万円は免除され、ローン残高はなくなったという。
この一例だけで、この制度を云々することは出来ない。金融機関が返済猶予している例が多いので、ローンの免除が本格化するのはこれから。
しかし、一つの事例が出てきたことは事実。 しかし、この事実を知った阪神・淡路の被災者の気持ちは複雑だという。

今回の東日本大震災は、津波による被害は大きかったが、地震そのものによる被害は少なかった。
阪神・淡路大震災では、1981年の新耐震基準により建てられたマンションが3084棟あったが、そのうちの10棟は大破している。
新耐震基準で建てられていることを強調し、セールスマンは 「新耐震基準で建てられているので、震度7の地震がきてもビクともしません」 と語っていた。それが、大破した。これは2005年の福岡西方沖地震の場合でも同様な被害を出している。
そして、ほとんどの入居者は、「新耐震基準だから、わが家は絶対に安全だ」 と考えている人が多いと言う。
しかし、新耐震基準と言うのは、「倒壊しせず、人命が守られる」 だけのものでしかない。
つまり、即死しないだけで、財産までは守ってくれない。
この認識の低さが、今でも消費者とビルダーの両方にある。
倒れさえしなければ、ビルダーは義務から免責される。 液状化で大幅に家が傾いても、大手のデベロッパーは責任をとろうとしていない。

「新耐震基準を守っているから安心だ」 という消費者の心理が、地震保険へ入る必要性を感じなくさせている。
ご案内のとおり、火災保険に入っていても、地震による火事や津波でやられた場合は、一切保証されない。地方の場合は類焼の危険が少ないが、大都市の場合は地震で潰れるよりも、類焼で焼失する可能性の方が高い。
それなのに、地震保険への未加入率は、筆者によると43%にも及んでいるという。
「新耐震基準をクリアーしているから大丈夫だ」 という誤った安心神話が横行しているから。

それにしても、神戸の木軸もRC造もひどいものだった。
倒れて当たり前という無筋コンクリートの基礎や、いい加減なスジカイの住宅が乱立していた。
これに対して、同じ震度7という直下型の烈震に見舞われた中越の場合は、豪雪地ということもあり、高床のコンクリート工事がしっかりしており、しかも太い柱とスジカイを採用していたので、神戸のような惨状を晒してはいなかった。
しかし、2500ガルという信じられない縦揺れを経験した川口町の田麦山と武道窪のウルトラ烈震地。
なんと太い柱とスジカイを使った住宅の90%が倒壊していた。
一部を除いて、間違いなく新耐震基準をクリアーしている住宅。それなのに90%が倒壊。
そして、倒壊を免れた住宅は、外壁に構造用合板を用いたスーパーウォールの住宅だけだった。
それ以外のツーバィフォーやプレハブが採用されていなかったので、スーパーウォールだけが目立ったという次第。

ところが、確かに倒壊はしなかったけれども、そのスーパーウォールの高気密性は失われていた。
今までは、外を走る車の騒音は全然気にならなかったのに、地震のあとは五月蠅くて眠れない。
命と財産は守れたのだが、「快適さ」 が喪失した。
そこで、改めてビルダーの役割の大きさに気がつきました。
つまり、「高気密・高断熱」 を謳い文句にしている住宅の場合は、震度7の直下型の烈震に遭遇しても、気密性を損なわないだけの耐震性を持っていなければならない。
つまり、鉄筋コンクリート造では、新耐震基準に到達するのがやっと。
今回の東日本大震災でも、鉄骨造や鉄筋コンクリート造の多くの建築物や交通機関の諸施設がやられている。
建築業界は、鉄筋コンクリートの能力に準じて耐震性を定めている。
しかし、高気密・高断熱住宅の場合は、新耐震基準ではダメ。建築基準法の1.5倍の耐震性を持った3等級より上の性能を確保してゆく必要性がある。
そういった基本的なポイントについては、この筆者は触れていません。
建築の専門家さえ触れることが出来ないことなので、やむを得ないと言わざるを得ない。

今年の4月18日に、東京都はマグネチュード7.3の直下型の地震が襲った場合は、死者が今までの1.5倍の9700人、負傷者は14万7600人、帰還困難者はなんと516万人以上になるという予想を発表した。東南海・南海地震とともに、その恐ろしさを教えてくれている。
この本は、4月25日に発刊されているので、その新しい資料に基づいたものではない。
しかし、東京直下型地震による住宅の被害を次のように記述している。
●全壊・全焼住宅      85万棟
 ・うち揺れによる倒壊   15万棟
 ・液状化による倒壊     3.3万棟
 ・がけ崩れによる倒壊    1.2万棟
 ・火災による焼失     65万棟
●午後6時発生で風速15m  148万棟
 ・うちローン返済中    16.6万棟
 ・地震保険未加入      6.6万棟

そして、根拠は怪しいが、東南海・東海地震の場合の予測として下記を挙げている。
●全壊・全焼住宅    33〜36万棟
 ・うち揺れによる倒壊   17万棟
 ・液状化による倒壊     8万棟
 ・津波による倒壊      4万棟
 ・がけ崩れによる倒壊    2万棟
 ・火災による全焼    1〜4万棟
●夕方5時に発生した場合 57〜63万棟
 ・ローン返済中     6.8〜7.5万棟
 ・地震保険未加入    2.7〜3万棟

ともかく、東京直下型の場合は、76%が火災による焼失。
と言うことになってくると、わが家がツーバィフォーで如何に耐震性・耐火性が高くても、狭小宅地の場合は焼失によって家を失い、ローンが残るということになりかねない。
そして、超高層マンションの避難などの面でも大きな課題が残る。

ともかく、考えることを止めたくなるほどの大問題。


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2012年04月15日

株主よりも、まず社員や顧客を大切にする会社


坂本光司著 「日本でいちばん大切にしたい会社」@AB (あさ出版 1400円+税)

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4年前に、この本が出版されたのは知っていた。
いち早く本屋で立ち読みした。
川崎の理化学工業や島根の中村ブレイス社など中小企業5社が紹介されていた。
前者は社員の7割が身障者で占めている特異な会社。後者は辺鄙な田舎にありながら義肢装具で日本全国に著明な会社。その存在とおおまかな内容は知っていた。
しかし、ビルダー仲間にとってはそれほど参考になる企業とは言い難い。
このため、あえて買うほどの価値がないと判断した。

ところが、書店にはいつまでも同じ本が並んでいる。それほどの名著でもないのにおかしいな、と思って手にとって見たら3となっていた。
つまり、4年の間に 同じ題名の本が3冊も出版されていたのだ。
帯を見たら延べで55万冊も売れていると言う。
早速、3を買ってきて読んだら、京都のMKタクシーを目標に未経験者の運転手育成で会社を一新させた長野の中央タクシーと、官公需の大型工事から小型の諸口工事と呼ばれる民需に切り替えた島根電工の奮戦記がやたらと面白かった。
これだとビルダーにとって大変参考になる。
そこで、あわてて1と2もまとめて買ってきたという次第。

著者は法大政策創造研の教授で、中小企業・地域経済・福祉産業が専門。
過去40数年間に、これはという中小企業を見つけては、北は北海道から南は沖縄まで、なんと6500社も訪れているという。
私は、ツーバィフォーのオープン化をはじめとしてR-2000住宅、パッシブハウスなど常に最先端の住宅にチャレンジしてきたので、全国のやる気のある地場ビルダーの名刺はかなり持っている。
だが、会社とかモデルハウス、あるいは現場を訪れたのはせいぜい150社程度。6500社というのはその40数倍。とても信じられない数字。
毎年150社以上を新規に訪問している勘定になる・・・。
ともかく、机の前で議論しているタイプではなく、脚で稼ぐフィールドワークの頼もしいタイプ。
こんなタフな研究者が、住宅関係にも居て欲しいと熱望するのだが・・・。
著者の経験によると、6500社の中で「大切にしたい」と考える企業が1割近くあるという。
つまり、600社は大切にしたい会社。
紹介するのはさらに絞って600社の1割としても60社。
今まで紹介されたのは1で5社、2で8社、3で7社の計20社。 ということは、最低でもあと6冊は続編が出版出来るという勘定に。
果たして、その中に地場ビルダーが含まれているかどうか ?
そういった興味はあるが、筆者の説く企業のあり方は、成功している中小企業の実態の裏付けによって単純明快なのが嬉しい。

産業界では、投機マネーの必要以上の暗躍もあって、「企業は株主のものである」 ということがあたかも正論であるかのように語られてきた。そして、短期的に利益を計上することが経営者の使命だとされてきた。
つまり、サラリーマン社長の4年ないしは6年の年期内に、どれだけ見かけ上の利益が計上出来るかで全てが判断される。
一頃は、GEのジャック・ウィルチの、「選択と集中」 を物真似して、「集中と当面利益が出ない部門の廃棄」 という短絡的な経営がもてはやされた。
当面利益が挙げられるものだけを優遇し、長期的な視点での判断が完全に喪失してしまった。
日本の産業界の停滞は、経営者がサラリーマン化したことと長期的な戦略が企業から失われたことにあると言えよう。
リストラが余りにも日常化し、働く人のロイヤリティが大きく劣化して、企業から輝きが失われた。

こうした悪しき風潮の中で、多くの中小企業主は 「会社は株主である親族のものだ」 と勘違いしている。 身内の飲食代の領収書を会社の経費で落とすことが、正当な節税対策であるかのように考えてもいる。
そして、業績が悪化すればまず経営者の責任が問われなければならないのに、身内以外の社員からリストラし、保身を図る。
こんな会社はどんな高い技術力を擁していようとも、どんな優れた商品を提供していたとしても、「企業は社会的なものであり、公器としての使命を発揮できなくなるので結局は潰れてゆく」 と筆者は断言している。

著者は、成功している中小企業に共通している思想は、会社はまず、@社員とその家族のものである。 Aそして外注先、下請け会社のものでもある。 Bその上で、顧客のものであり、C地域社会のもの。そして、最後に D株主のものだ、と説く。
筆者が担当している中小企業は、どちらかというとメーカーが多い。したがって社員とか下職が上にきているが、住宅業は物づくり業ではあるが基本的にはサービス産業。したがって、ビルダー会社は、「施主と社員と下職のもの」 という規定が正しいと思う。
いずれにしても、株主は最後にくる。

業績が伸びない企業は、その原因は会社の経営方針にあるのではなく、全て外部の責任にしている。そして、どの企業も5つの言い訳を用意している。
@景気や政府の政策が悪い。
A業態・業種が悪い。
B企業の規模が小さい。
C立地やロケーションが悪い。
D大企業や大型店が悪い。

筆者は、「景気は与えられるものではなく創るもの」 だと強調している。
お客がノドから手がでるほど魅力的で欲しいものを提案してゆけばいい。
それを提案するのに、企業の規模は関係ない。 ハイテクだろうがローテクだろうが顧客には関係ない。
お客が感動する物とサービスを創り続け、提案し続けてゆけばよい。
そうすれば、景気に関係なく企業は安定的に発展出来る。
会社の使命は、業績を挙げることでも成長させることでもない。
一時的な儲けよりも、社員や顧客、地域社会にとって一番大切なことは、「企業の継続」 だと筆者は力説。 継続のために、全社員によるイノベーションが欠かせない。
そうした会社こそが、「日本でいちばん大切にしたい会社」 だという。

さて、3冊で20社が紹介されているが、その中で私が個人的に参考になると思ったのが5社。
メーカーではカプセル内視鏡の長野のアールエフ社と東京・新宿の日本レザー。病院では有名な千葉・鴨川の亀田総合病院。電気設備機器の松江の島根電工。それとタクシーの長野の中央タクシー。
いずれも異業種だが、なかなか参考になる。
しかし、5社も紹介するとなると表皮的になってしまう。そこで、ビルダーと類似性の強い島根電工1社に絞ることにしました。

島野電光の現状を詳しく知りたいと、http://www.sdgr.co.jp  を今朝から何回もクリックしているのだが、どうしたわけか繋がらない。
同社は、電気工事、空調工事、水道工事、通信工事という設備工事を中心にした工事会社で、従業員は300人以上と大きく、今までは官公需を主体にして営業してきた会社。
資本金は2.6億円と、地方ではビック。しかし、社員持ち株制度はあったが、前の経営者は株を持ったまま辞めていったので、社員の持ち株比率は次第に少なくなり、次の新しい社長が誕生しても持たせる株がない。会社は社員のものではなく、前役員のためのものになっていた。
今から10年も前に、現陶山会長と現荒木社長が常務だった時に、このことに危機感を持って2つの大改革を計画し、準備を始めていた。
1つは、予想される官公需要の減退に対処するために諸口と言われている小型の民需の開発。
もう1つは、OBから株を買い戻して社員持ち株制度を機能させること。

ビルダーの場合は、新築需要が減少してくるので、リフォーム部門を充実させねばならないと言うことは頭で分かっているが、なかなか簡単にはゆかない。
同じことで、同社は2001年から諸口工事を増やすために、「困った時は設備相談室へ。お父さんの変わりにどんな小さな工事でも手伝います」 との新聞広告をうち、チラシを入れ、営業マンに飛び込み営業させたが、成果はほとんどゼロ。
官公需が頭打ちになり、このままでは会社の将来は暗い。
そんな04年に陶山氏が社長に抜擢され、荒木氏が副社長に就任した。前任者から、「いざという時は、リストラしかない」 と言われたが、2人は 「絶対にリストラはやりません。家計が苦しいからと、子どもや女房を売り、自分だけ飯にありつこうというのと同じことではないですか」 と、身体を張って先輩に抵抗した。

リストラを避けるためには何としてでも諸口工事を開発しなければならない。
だが、一般の顧客は、「エアコンの修理など、ゼネコンのハコモノの下請けをやっている会社には、高くて頼めない」という先入観がある。まず、これを打ち破らねばならない。
そこで、地元のテレビに、「住まいのお助け隊は、1000円から出動します」 というコマーシャルを打った。このコマーシャルは社員の手造りで、社員が 「たすけ隊、たすけたい ! 」と言いながら行進するもの。大変野暮ったいものだったが、愛嬌があって親しみが持てたので、ドンドン電話がかかってくるようになった。
しかし、実際に受注を始めてみると、100人いる営業が毎晩10時11時まで残業。
1人が抱えている案件は平均して2件なのに、なぜ残業をやっているのか?
調べてみたら、家庭ごとに要望が違う。そのため、その都度の見積りになり、慣れていないこともあって時間がかかる。そして、ようやく出来た見積もりを持っていってもご主人が不在。
後でご主人から電話があり、参上すると変更や追加工事があって見積もりのやり直し。
そして、やっと工事日程が決まるまで3日もかかっている。
諸口工事では5万円以下の工事が75%も占めている。その5万円の工事に何回も訪問し、3日も時間をかけていたのでは経費倒れ。

そこで、1回の打ち合わせで、その場で見積もりが出せるシステムと小型の機械を開発して全員に持たせ、営業行動の大幅コストダウンに成功した。
こうした試行錯誤の結果、2010年には30億円だった諸口工事が、11年にはなんと47億円と目標の50億円に近くまで急伸。
官公需と民需の比率も30 : 70 と、圧倒的に民需が多くなり、諸口工事できちんと利益が確保できるまでになった。
想像も出来なかった50億円という需要が、小さな島根県で6年間の苦闘の中で開発できた。
そして諸口工事は、社員に生甲斐を与えてくれた。
今までの官公需だと、仕事が終わるとそれでおしまい。ところが諸口工事は、ダイレクトにお客と接することになる。お客の感動が直に伝わってくる。お客の感動が、口コミとなりさらに新しい感動を生んでくるという好循環。
これを味わうと、諸口工事は病みつきになる。

そして、もう1つの課題であったOBからの株の買い上げ。
これをスムーズに行うために考えたのが、「額面1000円の株を3000円で買い戻す」 というもの。
「毎年10%配当を20年分先払いして3000円で買い戻します」 と言ったら、ほとんどが買い戻せた。その資金を用意するため、ホールデングスという持ち株会社を設立した。
こうして、現在ではその比率が、従業員持株会が36.7%、役員持株会が38.9%、ホールデングが16.2%、社外が8.2%にまで改善できたという。
もちろん2人のトップをはじめ役員が辞める時は、1000円で株を会社にわたしてゆくという内規もつけた。

2人のトップが、島根電工を文字通り 「社員のための会社」 に変えた。
そして、5年毎にトップを入れ替えてゆく計画もスムーズに進みそう。
「社長候補の人材はいくらでもいますよ」 という2人の英断が、雇用を守り新しい需要を生みだす会社に、短時間で見事に育てあげた。
紙数の関係で、同社がその電気や管工事の技術を活用して、地域の福祉施設などに対して行っているボランティア活動の詳細にまで触れることが出来なかったのは、残念。










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