2012年12月20日

小説としてはダメ。 だが上海住宅事情ルポとしては一読の価値。


六 六 著 「上海、かたつむりの家」 (プレジデント社 1900円+税)

かたつむり写真.JPG

日経新聞の書評欄にこの本が取り上げられていた。
単なる書評だったら、わざわざ買いに行こうとは考えなかった。
この本がテレビ化され、北京で放映され、大好評を博した。当然、首都でヒットしたテレビドラマは、中国全土のテレビ局に売られ、順次放映される。
このドラマが、上海東方衛生テレビが放送を開始したと思ったら、たった一週間で放映中止になった。
放送が中止になった理由の説明は、一切なし。
書評家は、このドラマがあまりにも中国の住宅事情や、官僚のワイロ行政の様子をリアルに書いているので、当局の手によって放映差止め措置が取られたのだろうと書いていた。

さて、こうなれば住宅に携わる人間として、なんとしてでも読まねばならない。
小説としての良し悪しは何にも書かれていなかった。
「当局から放映中止の命令が出されるほど、現代中国の住宅事情に深くメスが入った優れた作品に違いない。この小説は見逃せない」 と、おっちょこちょいの私は考え、紀伊国屋書店へ走った。

この小説の主人公は、大学を出て大都市の戸籍を持った幼い男の子ホワンホワンの母親・海萍とその夫の蘇淳。
それと海萍の妹の海藻。 その海藻を若い恋人から奪いとり、妾のように飼い慣らしている高級官僚の宋思明の4人。

海萍が住んでいるのは10u (3坪、6帖) という、それこそかたつむりの家。もちろん、台所、トイレが共同という 古ぼけた安アパート。家賃は月650元 (約8450円)。
この小さな安アパートを独身時代の海萍は借りていた。もちろん一時的なはずだった。
ところが蘇淳と結婚し、転職もし、出産もここでして 5年間も住みつくことになろうとは考えていなかった。
3年前、海萍が妊娠5ヶ月に入った時、夫婦は不動産購入計画を立て、上海市内の中古物件を見て回ったことがある。
海萍の年収は4.2万元 (約55万円)。夜中の2時まで勉強した大学出の年収がこの程度。
田舎へ行けば、広い家が安く手に入る。しかし、大卒の資格でやっと手に入れた大都市戸籍は50万元 (650万円) はする。 したがって、どんなに苦しくても二人はこの戸籍を失うことは絶対にしたくないと考えている。
夫の蘇淳は世界でもトップ500にランクインする船舶会社の技術屋で、年収は7万元 (約91万円)。 しかし、若い夫婦の手元には4万元 (約52万円) の貯金しかなかった。双方の実家から援助金を得たにしても、二人が買えるのは小さな中古物件しかなかった。しかも市内ではなく、上海郊外で…。

初めて見た家は90年代の初期に建てられた古くさい感じの設計。
台所、トイレ、2つの寝室のいずれもがドアはリビングに向かって開いている。つまり、リビングは廊下替わりで家具どころかパソコンも テレビも置く場所がない。もっとましな家を夢見ていた海萍は、こんな築10年の住宅が30万元 (約390万円) もすることに狂っているとしか考えられず、「買いません」と即座に断った。それが、3年後の今では3倍以上の100万元はしている。当時は住宅価格の狂乱時代がくることを海萍は予想出来ず、不労所得の権利を自ら放棄してしまった。
しかし、いくつかの物件を下見している間に、二人は経験を積んでいった。
そして、ある物件で4万元 (約52万円) を上乗せすることで権利を獲得した。
「ついに勝利のカードを得た。これで私も資産階級の一員になれた」 と海萍は嬉しくなった。
4000元 (5万2000円) の手付金を払った時、最初に見た家よりも狭いことが悔やまれた。しかし、海萍のお腹は気球のように大きくふくらんでいて、もう他を当たることは出来なかった。
しかし、まさかという事態が生じた。
手付金を払った3日後に、家主から、「申し訳ないけど、手付金は500元上乗せしてお返しするからキャンセルしてほしい」 という電話が入った。2万5000元上乗せする買い手が現れたのである。
海萍は電話で言った。
「いいですよ。あんなあばら家で、家主が信用できないということだと、こちらからお断りします。ほほほほ…。実は実家の親が生まれる子に別荘を買ってやれと、現金を送ってくれたのです。こちらからお断りしょうと思っていたところです…」

生まれたホワンホワンは、海萍の生活を混乱に陥れた。 望んだ子供だったが、ここまでお金がかかるとは思わなかった。赤ん坊の食費は大人の二人よりも多くかかった。輸入品の粉ミルクは1缶100元以上するし、紙オムツも100元以上。
預金通帳上に描かれていた家の青写真は、1u、1uと消えて無くなって行く。
しかも、産後の手伝いで実家の母親がきてくれていたので、狭い部屋は一層狭くなった。実家の母親と新しいママは幼児を抱いてベッドで寝る。夫は床に布団を敷いて寝る。赤ん坊は3時間ごとに泣きだす。
オムツの臭いと大人の汗の臭い。子供の泣き声と大人の怒声。
とても6帖の家の中にいるわけにはゆかない。
そして、赤ん坊が生まれて3ヶ月たったとき、海萍は家族に宣言した。
「仕事に戻ることにする。お金を稼いでこの狭い家から抜けださないと、生きてゆけない。 お母さん。ホワンホワンを家に連れて帰って、しばらく面倒をみてくれない?」

倹約、倹約、倹約…。
これが海萍の生活目標になった。
子供が去ったばかりの頃は、海萍は夜9時になると電話した。しかし、市外電話の請求書を見て、夫が「こんなに電話をかけていたら、直ぐ数uがなくなるよ」 といった。
変わりにビデオカメラを買い、母親にパソコンを買って送れば、と考えた。
「パソコンの回線代も高い。長く使うと都度1u。それよりもミルク代を送れば…」と夫に言われると海萍は涙すら出なくなった。

不動産価格は3段跳びで高くなってゆく。貯金通帳が増える速度に比べて、住宅の価格の上昇速度は速すぎる。永遠に追いつかないだけではなく、ますますその距離が大きく開いてゆく。
年に二回の実家訪問で、このままではホワンホワンは完全に自分から離れて行くということを海萍は実感した。
「何が何でも家を買うことを決めました。貴方は私の言う通りにしてくれればいいわ。 価格はだいたい80万元 (1040万円) 。頭金を20%として16万元。貯金と積立金は8万元しかないから、あと8万元を借りなければならない。貴方の任務は、親から4万元借りて下さい。 私は親から2万元と、妹の結婚資金から2万元を借ります」

蘇淳の親は、4万元を用意できる状態ではないことを蘇淳は知っていた。
そこで、蘇淳は取引先から仕事を受けて、アルバイトを始めた。そして、1万元単位で海萍にカネを渡した。 ところが、この行為が守秘義務を逸脱した行為だと公安局に逮捕され、蘇淳は牢屋へぶち込まれてしまった。再起が不可能なような事件が起きてしまった。
それだけではない。会社は損失金として2400万元 (3120万円) の請求訴訟を起こしていた。

一方、妹の海藻は、「姉のためなら死んでもよい」 と言うほどの覚悟を持っていた。
それは、海藻の命は海萍によって与えられたものだったから。
それは、中国が一人っ子政策を厳格に実行していた時代。 両親は避妊リンクを使っていたのだが、想定外の妊娠を親が知ったのは4ヶ月を過ぎてから。当然、堕すしかなかった。しかし、海萍が弟の誕生を強く望んだ。処置が手遅れとなり、父親の月収は2等級下がり、母親は昇級資格を5年間失った結果として生まれてきたのが男の子ではなく海藻。 両親は泣いた。
しかし、海萍だけは妹の誕生を喜び、可愛がって勉強を見てくれ、食事の面倒を見た上で、夜は添え寝をしてくれた。
このため、海藻は、「お姉ちゃんのためなら心臓をあげてもよい」 とまで考えていた。
その姉から、「結婚資金はどれだけ貯まっているの?」 と聞かれた時、「8000元」 と正直に答えた。
しかし、2万元が必要だと分かり、若い恋人といろんな葛藤と別れと再会の挙句に、結局は宋思明に身体を売ることになってしまった。
海萍の「家」に対する執念が、周りを不幸に陥れた。

ところが、これは小説。
結末は意外な展開を見せる。
しかし、正直言って、これは小説としては面白味が欠ける。
現代上海の一風俗として、あるいは世俗の一断面として、その住宅問題のルポは面白いけれども、正しくルポされているのは前半のほんの一部。私が紹介した範囲。
したがって、共産党の当局が、このドラマの放映を中止させたほどの内容は ほとんどないと言っても過言ではない。

「日経新聞がヨイショしていたほどの価値がなく、買って読むほどのものではないですよ」 と言うのが私の寸評。



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2012年12月05日

子供の絵本で、こんなに面白い講演集があったとは…


椎名 誠著 「絵本たんけん隊」 (角川文庫 743円+税)

絵本探検隊.JPG

椎名誠の著書は、ほとんど読んでいる。
読んだからといって、省エネ住宅の参考になる訳ではなく、新しい知識が身に付くわけでもない。
ただ、テレビを見ているよりは気が休まり、楽しくなってくる。したがって、東海林さだお、阿川佐和子などとともに、気分転換や息抜きには絶好のおつまみ的な存在。

つい10日前に、角川文庫から上記の著書が出版された。
今まで聞いたこともなかった著書で、いきなり角川文庫から出版されたのかと思った。
そうではなかった。
今から10年以上前に、著者は東京・表参道にあるユニオン教会で、4年間に11回に亘って表記の題で講演を行っている。
礼拝の時に牧師さんが座るステンドガラスの前のイスに腰を掛け、毎回300人ほどの聴衆を前に講演をした。この講演で、著者が取り上げた絵本はなんと約200冊にもおよぶ。
私などは、絵本というと子供の時に何冊か読んだだけで、大人になってからはほとんど読んだことがない。それを、200冊も読みこなしたというから、脱帽。
その講演内容を、クレヨンハウスから出版されていた。その時の定価が2625円+税と豪華本。
そのせいか、どの図書館にも置いてなかった。
その11回の講演の中で、私が気に入った箇所だけを摘み上げて紹介したい。

第1話  どこかにひそむこわいもの。
子供に話をせかされた時、子ともが喜んで強い反応を見せるのはちょっとこわい話。
電気がなかったランプの昔の部屋の隅は暗くて怖く、ヨーロッパでは地下室が怖いところだった。薄暗いところでは、ほんのちょっとしたことでも怖さを呼んだ。
しかし、最近は蛍光灯がコウコウと輝いていて、怖いところは家の中からなくなった。
著者の友人の沢野ひとしが絵本の出版社に勤めていた関係と、奥さんが保母さんだったということで、著者の家には絵本が一杯あった。
本人も子供が小さな頃はそれほど忙しくなく、時間が一杯あった。このため二人の子供にせがまれるとイソイソと絵本を読んでやっていたという。
絵本が、ことのほか好きだったらしい。とくに文字の無い絵だけの本に興味を持っている。
カメラをいじり、後に映画を製作するようになる映像感覚の高さが伺える。

そんなある日、沢野ひろしと弁護士の木村晋介の3人で伊豆へ遊びにゆくことになった。
いつも怪しい探検隊と称して遊び歩いていたものだから、徒党を組んだ奥さん連中から、「たまには子供を連れて行きなさいよ」 と強要された。
いずれもチビばかり。これではテント泊まりというわけにもゆかず、民宿に予約を入れた。そしたら、民宿だと安全だということで、従兄弟とかなんとかとチビが増えて、都合10人を連れて行く破目になった。
食後3人の大人は酒を呑んでいたが、チビどもは興奮して暴れ回る。あまり興奮すると眠れなくなるので隣の部屋に集めて、「絵本を読んで上げる」 と言ったらおとなしくなった。
本人は、毎晩のように子供に絵本を読んでいるので手なれたもの。子供を喜ばす読み方のコツを体得していた。持参した3冊を読み終えたら交代するつもりだった。ところが、隣の部屋のフスマが静かに開いて、沢野や木村が持参した絵本が10冊ほど滑りこませてくる。
「クソッ」と思ったが、根が絵本を読むことが好きだったので、全部を読み終えて10人のチビどもは大騒ぎをさせずに寝かせたと言う。
こうした得手が著者にあったとは意外。 
したがって、絵本作家でもないのに11回の講演を見事にこなしている。

第2話  どこでも住めるよ。
ぼくの本棚の中の宝物級の1冊に、「5つの王国  Five Kingdoms」 がある。
これは専門家が読む本で、地球上の生物は5つに分類される。
(1)はモネラ界 (2)は原生生物界 (3)は菌界 (4)は動物界 (5)は植物界。
地球上に生きる何千億という生物は、この5つに分類されている。モネラ界というのはバクテリアを中心とした生き物で、16部門にわかれているが、アフラグマバクテリア門とか窒素固定好気性細菌門などという珍しい部門がある。
原生生物界には渦鞭毛虫門とか有軸仮足虫門など、ぼくが好む魅力的な生物がいる。
動物界にも紐形動物門とか腕足動物門など、魅力的な生物がウヨウヨいる。実際の写真や詳細な図が掲載されており、一目見ただけで500メートルも後ずさりしたくなる気味悪いものもいる。
安手の映画に出てくるエイリアンなどは漫画程度のもの。その数十倍も奇妙なの生物に圧倒される。そして、驚くことにはそういった想像を絶する姿の生物が、それぞれに快適な場を見つけて、棲んでいるという事実。

第3話  小さなだいじなこのなか。
保育園などで子供の話を聞いていると、女の子も男の子も「お尻」に大変な興味を持っている。食べること以上に、オシッコやウンチに関心が高い。そのウンチやオシッコに関しては、沢山の絵本がある。ウンチが出てくる絵本は楽しい。
ぼくの息子が子供のときにこんなことを言いた。
「おとう。ウンチをさ、よぉ我慢して我慢して我慢して、走ると出ちゃうからソロソロと我慢をして家に帰ってきて、便所へ入った時の気持ちの良かったこと…」。
こいつは、素直でいい奴だとぼくは思った。
そうじゃないですか。それを素直に言えるのはやはり子供だけなのですね。大人は、グルメとかなんとかカッコをつけて食べることしか言わない。ウンチの話は、はしたないと考えている。その点、絵本にはいいものがありますよ。

第4話  食べる話。
食べる絵本で、最初に頭に浮かんできたのは「おむすび コロリン」。
子供のころにこの話を聞いた時、おむすびがコロコロころがってしまうと土やゴミがついてしまって食べられなくなる。だとしたら、そんなにおむすびを追いかける必要がないのではないかという疑問が頭から離れなかった。
そして、転がって行ったおむすびが、ネズミの穴に入る。そこでおじいさんが 「おいおい」とネズミに向かって呼び掛けることまでは納得できた。しかし、おじいさんが出てきたネズミに手を引かれて穴に入るところで分からなくなった。おじいさんがどうしてネズミの小さな穴に入れることが出来たのかと言う疑問。
穴がよほど大きかったか、それともおじいさんが小人だったのか…。
さらに分からないのは、そのおむすびをネズミが食べ、美味しかったからとお礼にお餅をついておじいさんに食べさせる。お餅があるのなら、おむすびよりも美味しいはず。ぼくの子供の頃は、お餅はハレのお供えもので、おむすびよりは偉かった。
ところが、最近になってネズミのお餅はもち米の餅ではなく、もしかしたらトチかドングリの餅だったかもしれないと考えるようになった。
とすれば、土が付いていようがゴミがついていようが、おむすびの方が美味しかったのだろうというふうに理解出来る。
また、本を読んでネズミが沢山いる蔵は、いい物が入っている良い蔵。ネズミは神様や仏様に近いくらいに神聖な動物として考えられていた時代があったことも分かった。
つまり、一つの絵本は単に子供の時の疑問にとどまらず、大人の疑問としても40年以上持ち続けられた。そこに、絵本の偉さがあると思う。

第5話  ともだちの話。
ぼくは人生で一番大事なものは友達だと、ずっと意識してきた。親や兄弟よりも友達の方がいろいろ教えてくれるし、相談に乗ってくれる。
よく、恩師とか先輩から教えを乞うたと言われるが、ぼくの場合はいろんなことを教えてくれたのは先生ではなく、全て 友達。
ぼくの息子は、ぼくのような親に育てられたので、当然のこととして勉強をしない青少年時代を過ごした。彼は高校生になると、予想どおり耳にピアスをつけ、髪を真っ茶 に染めた。ぼくはそういうのは大嫌いだから怒った。ところがかみさんは太っ腹で怒らない。
「そんなふうに髪を染めることが出来るのも今しかない。社会に出るとそんな恰好はしておれない。今しか出来ないのだから、やらせておけば…」と柳に風。
たしかに言われた通りで、3ヶ月ぐらいで黒い髪に戻った。
そんな、いい加減な青少年時代を送った息子だが、友達は大切にしている。今でも助けたり、助けられたりして忙しい。
友だちの絵本には名作がある。「エルマーとりゅう」は息子が大好きだった。
何度も何度も読んで聞かせた「もりのへなそうる」が、今でも彼の本箱にある。
また、動物と心を通わせるということも子供にとっては大切。
娘には「ボタンのくに」を千回ぐらい読んだ。「あおくんときいろちゃん」も記憶に深い。「わたしとあそんで」も大変に良かった。

第6話  生きているから笑うんだ。
ぼくの友だちが20才の時に自動車事故を起こして、小さい子を轢いてしまった。幸い命は助かったが大怪我をさせ身体障害者にしまった。彼は自責の念にかられ、大学ノート一冊分に自分の無念さを書き込み、親が外出している時に自分の部屋で好きな音楽をガンガンかけ、一升近い酒を飲んで梁からロープを吊るして自殺してしまった。
彼のノートを読んだら、本当は死にたくない。だが、死を選ばねばならない悔しさがメンメンと書かれている。酒の勢いを借りているから、最後は字が乱れてきている。生きると言う未練深い執着心を残したまま命を絶った。
そのノートを読んで、ぼくは最近のいじめによる自殺を美化している新聞記事に対して、こころからの怒りを覚えている。
根本にあるのは学校教育におけるガンバレイズムだと思う。日本では、何でも頑張れ、頑張れ、頑張れという。これがある限りは落ちこぼれが必然的に出てくる。
ぼくの子供が本当にいじめられていたら、たとえ1年や2年は学校を放棄させてもよいと思う。人生の一時的な小さい世界で苦しまなくても、別な方法がいくらでもある。だから命を絶つ必要はない。
それなのに、腹立たしいのは報道の仕方。
「おとうさん、お母さん。先立つ不孝をお許しください」などという理路整然とした遺書を載せ、死を美化している。これを読んだ、明日にでも死んで楽になりたいと考えている多くのいじめられっ子は、死を選んでしまう。ぼくの友だちのように死にたくないともがいていない。
生きることの尊さを知らずに、簡単に死を選ぶ日本の情けない風潮。
おじいちゃんやおばあちゃんの死。
あるいは犬や小鳥などかわいい動物の死。
そういった実例や絵本から死の尊厳と活きる喜び学び、生きて続けて欲しい。

このあと、第7話 はしる、とぶ、もぐる。  
第8話 水の中のあやしいやつら。  
第9話 たんけん隊はたいへんだ。  
第10話 ページをめくる夢の時間。  
第11話 ずっと話して、ずっと考えてきたこと。 
と続くのだが、残念ながら紙数が尽きた。

多くの人々は、私と同様に会社人間、仕事人間で、子供の絵本などに目を向けた人は少ないと思う。
そういった反省を込めてこの本を読むと、普段の印象とは全く違った椎名誠像が現れ、新しい発見が一杯転がっている。




posted by uno at 07:54| Comment(0) | 書評(その他) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年11月25日

インターネット、携帯電話時代の、小中学生の想像を絶する「いじめ」


山脇由貴子著 「震える学校」 (ポプラ社 880円+税)

震える学校.JPG

私の小中学生の時代には、いじめられたという経験がない。
多少意地悪はあったが、根に持つほどのことはなく、私はめったに出席しないのだが同窓会にまで恨みを抱え続けるということはなかった。
2人の子供も、学校へ行きたくないとか、いじめられたと訴えたことはなかった。
多少あったにしても、企業人として仕事に没頭していて、子供の世話は奥方任せ。 それでも、大問題になるようなことはなかった。
したがって、最近のテレビや新聞が報じるいじめの多発と、その陰険さは想像を絶するもので、到底理解出来ないものだった。
ところが、この本の実態報告を読んで、インターネットや携帯電話の匿名での書き込みが、今までの常識を完全に覆していることを、嫌というほど知らされる。

A子ちゃん。
小学校のころは、しょっちゅういじめられていた。
そのため、中学校は絶対にいじめられないようにしょうと考え、皆が行かない遠くの中学校を選んだ。
そして、出来るだけ明るく振舞い、そして率先して他の子の悪口を言うように努めた。
その方がいじめられなくて済むから。
A子ちゃんは、昔のようにいじめられることに怯えていた。
学校では、いつも誰かがいじめられている。
A子ちゃんのクラスでは、友達関係が非常に変わり易くなっていた。グループも直ぐ変わるから、うっかりすると自分がいじられる側に回る可能性がある。
それを避けるために、以前は仲の良かった子をいじめる側に回ることもあった。
最初は、その友達が可哀そうだと思った
しかし、「ウザイ」とか「キモイ」とかは、誰でも言っていること。
それを言わないと、「ノリが悪い」といってこちらがいじめられる。
しかし、悪口を言っているのは意外に疲れる。
友達と話をしている時も、いつ反撃されるかと気を使うので疲れる。
本音が言えないし、メールもちょっと返事が遅れるだけで気まずくなったりするから、いつも気が抜けない。
そして、明るく笑いあっている友達が、匿名で悪口を書いているかもしれない。
本当に気を許せる友達が一人もいない。
このため、A子はいつのまにかいじめの加害者になっていた。
被害者の親が学校に訴え、当面の間の登校停止処分を受けた。
その知らせを聞いて、A子の母親はびっくりした。
「とてもいじめをするような子供ではないと考えていたのに、何が原因で、登校停止処分をうけるほどになってしまったのか・・・」と。

1ヶ月前の10月30日付のこの欄で、インターネットの薬物のような中毒性と、その匿名性という特徴のために、アメリカのほとんどの人々が精神病と言える障害に冒されているという「毒になるテクノロジー」
(ローゼン他著) を紹介した。
日本でも、2チャンネルをはじめとして、匿名による中傷合戦がネット上で延々と続いている。
実名を名乗っての、消費者の住宅各社の情報交換なら非常に参考になる。
ところが、匿名となると、やたら悪口だけが目立つ。1回か2回は その傾向を知るために私もそうしたチャンネルを開いたが、あまりの中傷合戦に2度と訪れる気がしなくなった。
得られる多少の情報に比べ、神経が逆なでされる雰囲気に我慢が出来なくなるから。
したがって、私は思いつきのツィッターや2チャンネルなどは、ほとんど訪ねないことにしている。
しかし、2チャンネル等への投稿マニアは、まさしく「毒まみれのテクノロジー中毒症」に罹っていると言って良かろう。
しかし、2チャンネルでキモイとかウザイのターゲットとして選ばれるのは企業とか有名人。
名誉職の代償と考えられなくもない。
ところが、小中学校で匿名のターゲットにされるのは、どこまでも仲間。 

著者は、インターネットと携帯電話が、子供社会のコミュニケーションを2重にし、今までの対面コミュニケーションで培ってきた信頼関係を失わせる結果になっていると警告している。
多くの子供たちは、「親友にだけは本音が言えない」と言っている。 どんなに親しげに振舞っていても、本音を漏らせばネットで悪口を書かれる可能性が高い。
したがって、子供たちは人と人、心と心の繋がりを信じられなくなってきている。いつも不安に怯え、安心出来る人間関係が築けない。
このため、学校で常にいじめが起こる。 いじめが起こっても、どこにも頼る人がいない。安心出来る仲間がいない。

著しい信頼感の欠如が、クラスの中に「いじめのヒーロー」という歪んだ権力を生む。
加害者であり続けることが、唯一身を守る術である世界。 そこでは常に新しいいじめを考案し、皆を盛り上げてゆかねばならない。そうすることが出来る人間のみが、「いじめられない安定した地位を得る」ということを、子どもたちは学習している。
そして、「いじめのヒーロー」たちは、常に自分の立場を脅かす者が出現しないかを厳しく監視している。ちょっとでも自分に対して否定的な素振りがあれば、今度はその子をターゲットにする。そうしなければ、自分を守ることができないから。
このようないじめ社会で生きてゆくには、その社会に適応するしかない。
つまり、いじめに加担するという、歪んだ「適応」。

ネット社会の匿名性が、小中学校では常に新しいいじめを量産している。
そのいじめは次第に加速化し、劇場化してくる。
屋上に連れて行かれ、手擦りに向かって押されるとか、「死ね!」などと言われたりする。
加速化し、劇場化したいじめは極めて危険であり惨酷。
殴る、蹴る、刃物で刺すという身体的な暴力、恐喝、脅迫もある。社会のルールでは明らかに犯罪。
大人の社会では、当然法の裁きを受けるところだが、学校という名の「聖域」では、先生もそれを黙視している場合がある。

それだけではない。
匿名性を良いことにして、子供が教師に対してあることないことを書き立て、真面目な教師を学校から追放するという悪質ないじめまでが流行ってきている。
その具体例を読むと身の毛がよだつ。
インターネットと携帯時代の匿名性が、あらゆる信頼関係を破壊しようとしている。
それほど、現在の教育の現場は荒んでいる。

貴方のお子さんとお孫さんが、今までの常識では考えられない大変苦しい立場にたたされているという現実を、まず確認する必要があります。
その上に立って、この問題を正してゆくにはどうしたら良いか?
単に担当の先生や校長先生、教育委員会で解決出来る問題ではない。
全ての保護者が学校と一緒になって考えてゆかないかぎり決して解決されない。
筆者の都児童相談所員として、また児童心理司としての数々の経験談からの提案には、心を動かされるものがある。





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